熊野神社

豊葦原の瑞穂の国へ4

木花之佐久夜姫(このはなのさくやひめ)

 ある日、天津日高日子番能邇邇芸命は笠沙の岬で見目すがしい少女に出会いました。命はその姫の気高さにうたれて思わず声をかけました。
「あなたはどなたの娘か」
「はい。私は大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘で、木花之佐久夜姫です」
「私はあなたに一目で心ひかれてしまった。私の妻になってほしい」
 邇邇芸命は一大決心で申しました。娘ははずかしげに、
「私は何ともお返事を申しかねます。どうか父、大山津見神にお申しください」
 邇邇芸命はさっそく使いをたてて、大山津見神に木花之佐久夜姫をいただきたいと、申しこみました。
 大山津見神はたいそう喜びました。たくさんの贈り物と木花之佐久夜姫に、姉の石長(いわなが)姫もつきそわせて、お嫁入りさせました。命はめでたく木花佐久夜姫と結婚して夫婦のちぎりをむすびました。

 ところが、姉の石長姫(いわながひめ)はまるで石のようにごつごつとみにくいのです。それで邇邇芸命は石長姫をすぐに返しておしまいになりました。大山津見神はとても恥じ入って、命のところへ申してやりました。
「私が木花之佐久夜姫に、わざわざ石長姫をそえてさしあげましたのは、わけがありました。天より下られた命のおいのちが石のように永久にお続きになるように、木花佐久夜姫は、み世が木の花が咲きさかるように、との祈りをこめて二人そろえてさしあげました。高天原では生命は永遠に続いていきます。それと同様に、石長姫をおそばにおかれれば命のおいのちは、雨がふり風がふいても石のように永遠に続くはずでありました。石長姫をお返しになった今となっては、ご寿命はかぎられてしまい地上に生き通しとは、いかなくなりました。木の花はいっとき華やかに咲きますが、必ず散る。残念ながらおいのちも同じです」

 そののち、しばらくして木花佐久夜姫は邇邇芸命にもうしました。
「私は、あなたのみ子をおなかにやどしました。天神(あまつかみ)のみ子を私ひとりで勝手にお生みしては申しわけないと思い、お知らせにきました」
「佐久夜姫よ、たった一夜のちぎりで身ごもったというのか。それは私の子ではあるまい。国神(くにつかみ)の子であろう」
命が申されますのに姫は、
「まあ、どうしてこのみ子が命以外の者の子でしょうか。もし国神の子であれば決して無事には生まれません。天神のみ子は、どんなことがあっても無事に生まれます」
 姫はこう言うと、戸のない御殿をつくりました。
 その中に入ると土で御殿を塗りふさいでしまいました。いざ、み子を出産というときに、この御殿に火をつけました。
 火が赤い炎をあげて燃えさかる中で、み子は無事に三神も生まれました。火照命(ほでりのみこと)、火須勢理命(ほすせりのみこと)、火遠理命(ほおりのみこと)またの名は日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと)です。

 この神話には、人間の本当のいのちは火にも焼けない天地の創り主の分けいのちだという、深い真理がこめられているのですね。その後、命さまは海路東シナ海を北上されて川内(せんだい)の地にこられました。川内にお着きになられた命は、この地に立派な千台(うてな)すなわち高殿を築いてお住まいになりました。川内(せんだい)の名はこの千台からきています。やがて命はおなくなりになられて、お墓がつくられました。これが命の「可愛山稜(えのさんりょう)です。その命さまをおまつりされるようになったのが薩摩国一宮新田神社のはじまりといわれています。(新田神社のしおりから)
【新田神社の境内にある命の御陵には宮内庁の事務所もあります。】