熊野神社

豊葦原の瑞穂の国へ2

三種の神器

 天照大神は国神猿田彦(くにつかみさるたひこ)が、豊葦原の瑞穂の国へくだられる邇邇芸命(ににぎのみこと)の一行をむかえにきてくれたことで、たいへん、安心なさいました。
 天の岩戸開のとき力をつくした天児屋命(あめのこやねのみこと)布刀玉命(ふとたまのみこと)天宇受売命(あまのうずめのみこと)伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)玉祖命(たまのおやのみこと)の五神を、それぞれお供のものの頭としてつかわすことになりました。

 天の岩戸から天照(あまてらす)様にお出まし願うときに作られた八尺(やさか)のまが玉と八咫鏡(やたのかがみ)須佐之男命(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)の尾から取り出し献上した草薙剣(くさなぎのつるぎ)の三つの宝を、天照様は邇邇芸命(ににぎのみこと)にさずけました。
 この三つの宝は三種の神器といわれ、神武天皇から今上陛下(きんじょうへいか)まで百二十五代、代々みくらいにおつきになられるときに天皇様が受け継がれる宝なのです。それは天照大神(あまてらすおおみかみ)が御孫邇邇芸命(みまごににぎのみこと)にさずけられたとき、大神の魂がこめられ、大神の魂がやどっているからです。

 八尺のまが玉には、私心のない限りなくまろやかな慈愛の魂がやどっています。また今の世であれば57億7500万の地球上すべての人々の魂は皆、創り主のいのちの分けいのちであるから、この玉のように美しい。そして、すべての人々はこの玉飾りのように、一つのいのちで結ばれているという、とても深い意味がこめられています。この考え方が心底理解できれば、人類はひとつのいのちでつながった兄弟とわかり、大和(だいわ)し、仲よくなれるのです。それで、わが国は大和と書いて大和(やまと)の国なのです。
 遠い先祖の古代人は、人間の大もとをこのような形で示してくれているのは、すごいことですね。

 八咫鏡にはこれまた私心のない澄み切った神の叡智の魂がやどっています。天照大神(あまてらすおおみかみ)は、
「この鏡は専(もは)ら我(あ)が御魂(みたま)として吾(あ))が前(みまえ)を拝(いつ)くがごといつき奉(まつ)れ」
とおおせになりました。つまり八咫鏡は天照大神のみ魂として常に、私心のない大神の知恵のお心そのものを自分の心にして伝えついで行くように、と教えられたのであります。

 草薙剣(くさなぎのつるぎ)には私心のない天神(あまつかみ)のまことの勇気の魂がやどっています。
 地球の神である須佐之男(すさのお)様が天照様に献上されたということは、天の心と地の心がひとつになる。つまり心の文化と物の文明、大和の心で調和させる意味と、天の心で地を治める意味も含まれています。
 そのためには正義の剣が必要なときもあることも示されています。

 天照大神は、思金神(おもいかねのかみ)と手力男神(たじからおのかみ)もお供に加えました。すべての用意はととのい、いよいよ天孫邇邇芸命(てんそんににぎのみこと)が天くだるときがやってきました。
 天神の、
「では、ごきげんよう」
のお言葉で、天津日高日子番能邇邇芸命(あまつひこひこほのににぎのみこと)は、"天之岩位(あまのいわくら)"を離れられたと、古事記に書かれています。
 このことは、現実世界をみるこの目には見えないが、石(いわ)のようにかたく、確実に存在する。ぜったいに善いことばかりの高天原の真理世界の座(みくら)を離れての意味です。
 そして、現実の地上世界を救うためにくだってこられたのでありました。